京都旅行記 その9
2012年 03月 25日
「寺も龍も、もう飽きた」という主人の意見は意見として聞きましたが、予定は変わらず(笑)
この日の予定は、車で嵐山の天龍寺に行く。
嵐山はちょいと離れているので、バスはめんどうなので。
天龍寺は事前の調べでは駐車場が有料だけどあると書いてありました。
しかし、行ってびっくり。見てびっくり。
高い。ぼったくりじゃん。
一日嵐山に滞在して、嵯峨野を散策したりする人にはいいけど、わたしたちは天龍寺の龍みたら即去っちゃう予定。
2人とも、嵐山も嵯峨野も何度も来ているので長居は無用。
だから、こんな高いところにはいれません。
ちょっと離れた駐車場に駐車
⑫天龍寺
拝観料・500円
臨済宗天龍寺派大本山
「八方睨みの龍」のある法堂
加山又造の「八方睨みの龍」
法堂の天井中央9メートルの円相の中に躍動するみごとな龍は、暑さ3センチの杉板159枚を張り合わせ、前面に漆を塗り、さらに白土を塗った上に直接墨色で龍を書いてます。
妙心寺のガイドさんが言われたよに、龍の目を見て法堂を大きく回ると、不思議なことに龍の顔の向きも変わり、わかっていても不思議な感じ。
妙心寺のガイドさん、ありがとう。
この写真はよそからお借りしたもので、現在の龍の様子ではありません。
というのが残念なことに、ほんの一部、色が剥落して、下地の白になってるんです。
係りの人に聞いたら、「板の乾燥が充分でなかったのでその部分の色が剥落したんです」とのこと。
嵯峨野もちょいと覗いてみました。
見事なはずです。こうして古くなったところは補正するんですね。
野宮神社というのがあったので、母に健康のお守り、娘に子授かりのお守りを買いました。
さて、次は広隆寺へ。
⑬広隆寺
拝観料・700円
真言宗系単立
太秦にあるあまり大きくないお寺です。
ここには、あの有名な「弥勒菩薩半跏思惟像」があるんです。
東洋のモナリザとも言われ、社会の教科書に載っている仏像です。
この半跏思惟像は「一切衆生をいかにして救おうかと考えている」お姿を表しているらしい。
半跏思惟像など、飛鳥・天平・弘仁・貞観・藤原・鎌倉と各時代の仏像を祀っている新霊宝殿の入り口
エピソード
1960年8月18日、京都大学の20歳の学生が弥勒菩薩像に触れ、像の右手薬指が折れるという事件が起こった。この事件の動機についてよく言われるのが「弥勒菩薩像が余りに美しかったので、つい触ってしまった」というものだが、当の学生は直後の取材に対し「実物を見た時"これが本物なのか"と感じた。期待外れだった。金箔が貼ってあると聞いていたが、貼っておらず、木目が出ており、埃もたまっていた。監視人がいなかったので、いたずら心で触れてしまったが、あの時の心理は今でも説明できない」旨述べている。なお、京都地方検察庁はこの学生を文化財保護法違反の容疑で取り調べたが、起訴猶予処分としている。また、折れた指は拾い集めた断片をつないで復元されており、肉眼では折損箇所を判別することは不可能である。
本像についてしばしば「国宝第1号」として紹介されるが、本像と同じく1951年6月9日付けで国宝に指定された物件は他にも多数ある。本像の「国宝第1号」とは、国宝指定時の指定書及び台帳の番号が「彫刻第1号」であるということである。
広隆寺の講堂
広隆寺の庭の梅はきれいに咲いてました。
お寺・龍巡りはひとまずこの日の午前中で終了。
この日のランチは「京の味」に少し飽きてきたので、ホテルの近くのラーメン屋に。
午後は自由行動となり、わたしは四条・祇園のお土産屋さんを散策。
夕方主人と祇園で合流したんですが、どこで夕食を食べるか決めてなかったんです。
これが失敗でした。
やはり、下調べしておかないと、とんでもなく失敗しますね。
なぜ最後の日の夕食を決めてなかったのか自分でもわかんないけど、おそらく計画に疲れてめんどくさくなったんでしょうね。
さすが、京都は見るところが多くて魅力的です。
ただ、4日も続けてみると「今日も寺、明日も寺、明後日も寺、そして時々神社。龍が勢ぞろいで区別できない。仏像もどれも似ていて飽きてくる」状態になります。
私はまだいいんですが、大学時代に京都によく来ていた主人は見飽きてたみたいです。
3日でよかった。
というのが主人の意見です。
確かに。
でも、こうして写真をアップしてみると、どれもとても美しい。
何故かと考えると、寺自体の造形も美しいのですが、庭が実によく手入れされているからなんです。
拝観料が高いと主人は言いますが、これだけの庭を美しく管理するにはお金がかかるから仕方ないと思うんです。
「辰年」ということで禅寺の雲龍図・襖絵をたくさん見ることができました。
ラッキーでした。